安全に出産できる国へ

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命がけの出産から、安全にお産できる国へ

乳児死亡率/妊産婦死亡率(日本)2008年

出典:厚生労働省「人口動態統計」2014

1960年代、日本は、戦後の混乱からめざましい復興を成し遂げて、いわゆる「高度経済成長の時代」を迎えました。
この頃の日本で、著しく好転したのは、経済の分野だけではありません。
グラフをご覧いただくと一目瞭然ですが、妊産婦死亡率と乳児死亡率が目を見張るスピードで低下しています。それでも他の先進国に比べると1960年当時はまだ高い率を示していました。
戦後の日本には、多くの男性が戦地から復員したことで、ベビーブームが起きました。しかし、敗戦でさらに食糧難となった日本は増加する人口を支えきれず、戦中の「産めよ増やせよ」の政策から一転して、人口抑制の必要に迫られました。妊娠しても子どもを育てられない女性は後を絶たず、その結果非合法による安全でない中絶が蔓延し、数多くの女性が命を落としました。
そこで1948年に、「母性保護」を目的のひとつにうたった優生保護法(*)が制定され、条件付きで中絶が合法化されました。1952年には家族計画の推進が閣議決定されました。さらに母子手帳の普及や母子保健法の制定(1965年)などによって、妊産婦死亡は急速に減少しました。
世界的に見ても、戦後の日本ほど短期間に妊産婦と乳児の死亡率を削減した国は、そう多くありません。2013年時点では日本の乳児死亡率も、妊産婦死亡率も世界でもっとも少ない国のひとつに数えられています。

*1996年に一部改訂が行われた。その結果、障がい者を差別する「優生」に関する条文が削除され、法律名も母体保護法に変更された。

日本の母子保健を支えたもの